人☆日頃の感謝文☆
2018/09/22 Sat 22:28
日頃の感謝を伝えたくて…
<そのはしわたるべからず>
※第十五話から第二十三話あたりまで飛びます。
エレンの監視の為の拠点として与えられたのが、旧調査兵団本部であった古城だ。
城の裏手は、使用人達の居住区後や厩等があり、今でも生活感が漂っている。
一方、城主の生活圏は、わずかに豪華絢爛の名残が感じられる程度だ。
ほとんどの主だった部屋は、執務室に模様替えしているが、いくつかは来賓や士官用に居室のまま残されていた。
エレンを除き、一般兵には広くて贅沢な私室が、それぞれにあてがわれた。
ペトラは任務を忘れたわけではないが、幼い頃に夢見たお城暮らしに胸を高鳴らせている。
もう少し当時の調度品が残されていたならペトラももっと楽しかっただろうにと、クソ王子は思った。
「俺が城に住む日が来るなんてなあ。」
クソ王子はクソでも王子だが、領地で暮らしていた時は、城ではなく、御屋敷に住んでいた。
城がなかったわけではないが、御屋敷よりも小さなそちらは、駐屯兵団の支部として使われていた。
だから、ペトラ達平民同様、城で生活するのは初めてだ。
自然と伸びそうになった背を、意識的に丸める。
誰も見ていないし、今ここにいる誰に何を見られても関係ない。
そう思うと、知らず入っていた肩の力を少しだけ抜く事ができた。
まず城の造りを把握するべく、リヴァイ班は探検を始めた。
楽しそうな一行の端、クソ王子は鬱々としている。
隅っこの方をとぼとぼと歩く姿は、普段なら見ている方まで気が滅入りそうだが、お城暮らしにはしゃいでいる探検隊の視界には入っていなかった。
廊下は幅が広く、天井が高い。
絨毯こそないが、大きく形の揃ったいい石が敷かれていて、歩きやすい。
「お?この扉はなんだ?」
オルオが古くなって固くなった扉を、軽く体当たりをして開けた。
長身のエルドが頭を下げなければ入れないそこに窓や灯りはなく、オルオは固唾を飲んだ。
オルオの肩越しに入る自然光だけでは遠くを照らせず、真っ暗な階段がずっと下に続いているように見える。
「まさか、ここからもエレンの部屋に行けるのか?」
「本当だ。割と俺の部屋は使い勝手がいいのかもしれません。」
それはいったいどんな城だと、クソ王子の死んだ魚のような目がさらに死ぬ。
エレンの部屋、つまり地下牢の使い勝手がいい城があるわけがない。
あったとしても、趣味が悪過ぎる。
使用人達用の通路に繋がっているだけだとは、わざわざクソ王子は訂正したりはしなかった。
探検の邪魔をするつもりはない。
ちなみに、エレンの部屋に続く階段は、逃走防止のために狭く急で、石の形も悪く揃わず、慣れない者が走れば間違いなく足を挫く。
探検隊全員が使用人の通路に続く階段に踏み入れたところで、クソ王子は闇に紛れて、わざとはぐれた。
目に見える造りよりも、目に見えない造りの方が気になったからだ。
居室の一つに入り、暖炉の中に隠し扉を見つけた。
その中には鍵が入っていた。
それを持って、続きになっている寝室の大きな絵の前に立った。
額縁をずらしてみたが、壁紙に不自然な継ぎ目はない。
ベッドがあったであろう石畳をざっと確認してから寝室を出て、壁に備え付けられた大きな鏡の前に立って、鏡の装飾の石を一つずつ触った。
「(あった。)」
斜め左下の石が一つ、外れた。
そこは鍵穴になっていて、鍵を差し込んで回すと、カチリと音がした。
一際大きな装飾を取っ手の代わりに鏡を引けば、先程オルオ達が入っていった階段よりも暗く狭い通路があった。
入ろうかと思ったが、賑やかな声が近づいて来た。
クソ王子は鍵を元の場所に戻し、何食わぬ顔で探検隊に合流した。
探検も中盤に差しかかり、探検隊は死ぬほど驚かされた
「おい。」
声をかけられて初めて、探検隊にリヴァイが混ざっていた事に気がついた。
エルドやグンタは肩を大きく跳ねさせ、オルオは舌を噛み、ペトラとエレンは小さく悲鳴を上げた。
クソ王子にいたっては、声にならなかったが、驚き過ぎて大絶叫した。
みなの反応に、リヴァイこそ驚いたが、表情筋が仕事をする事はなかった。
「クソ王子よ。なぜそんなに端を歩く?」
気配に敏いはずのクソ王子が死ぬほど驚いたのは、リヴァイがクソ王子と反対側の端を歩いていたからだ。
つまり窓際、王子から一番遠い所だ。
さすがのクソ王子もそれだけ離れて気配を消されれば、気がつかない。
リヴァイは、窓を怖がっていたクソ王子のために窓際を歩いていたのだが、それにしてもクソ王子は、肩で壁の掃除でもしているのかというほど広い廊下の壁側を歩いている。
クソ王子は大きな目を瞬かせるだけで、答えない。
「おい。」
リヴァイがもう一度声をかけたので、渋々口を開いた。
「いえ、その、すみません。みなさん、知った上で楽しんで歩いているのかと思っていて、あの、俺は別に興味がなかったので。」
煮え切らないクソ王子の言葉に、イラッとしたオルオがクソ王子の胸倉を掴んだ。
「つ、ま、り?」
「使用人用の通路ではなく、一般的に城の廊下の真ん中を歩けるのは城の主やその客人。つまり、身分の高い人以外は歩いてはいけません。絨毯が敷かれていたのであれば、お傍仕え以外の使用人以下は、絨毯を踏む事すら許されません。」
一瞬、我が物顔で廊下の真ん中を歩いていた平民達の顔が強張る。
普段、歩く事で気をつかう事があるとすれば、上官と擦れ違う時に道を空けるくらいだ。
上流階級のやんごとなき御方方は、細かい事にいちいち面倒なルールを作り、それに従わせる、または従わないものを排除する事で、自分達の地位と自我を確立、確認している事は知っていた。
クソ王子は王子でもクソなのでそのルールをクソだと思うだけだが、オルオ達平民は、そのルールに従う事で壁の中で生きる権利を与えられる側だ。
クソでも権利を与える側の人間に身の程を指摘されると、無意識に居心地が悪くもなる。
「この城は非常時に戦の拠点となる事を目的として建てられたので武骨な石造りですが、漆喰などで飾られた城であれば、端まで絨毯が敷かれている事もあり、歩ける場所が柄や色で分けられている事もあります。」
しかし、クソ王子は王子でもやはりクソだ。
平民達は顔を見合わせて、意識的に結論を出した。
ふうん、まあいっか、だ。
それはクソ王子も同意するところだ。
だからと言って自分が真ん中を歩きたいかと言われれば、そうでもない。
「俺も、俺達以外に誰もいねえのにそんな事気にしちゃいませんよ。ただ、広い場所の真ん中ってなんか落ち着かないだけです。でも、まるで端を歩いている事が悪い事みたいに言われたので、別に普通の事じゃないのかなと思って、驚いただけです。すみません。」
「いや、悪いだろ。」
リヴァイの切り返しに、またクソ王子の大きな目が瞬く。
オルオは呆れてクソ王子の胸倉を掴む力を強くし、廊下の真ん中にクソ王子を放り投げるように引き込んだ。
「おまえ、クソでも王子だろ。何、平民の俺達より端を歩いてんだよ。」
「いや、やめてくださいよ。そういうの。本当に。」
クソ王子が引け腰で壁側に戻ろうとするのを、ペトラが王子の背に回り込んで押して止めた。
「ペトラさんまで。俺、王子かもしれないけど、マジでクソなんで。」
「王子でもクソでもいいけど、広い所が落ち着かないなら、私達の真ん中を歩いたらいいじゃない。」
「…うん?」
ペトラの綺麗な紅茶色の瞳は澄んでいて、また、クソ王子の大きな目が瞬く。
エレンはじっとクソ王子を見つめたままだ。
クソ王子は角が立たない辞退の言葉を探そうとしたが、ふいにすとんとペトラの言葉が腑に落ちた。
「そうします。」
自分でもよくわからないが、そうすれば壁側よりも歩く事が苦ではない気がしたのだ。
ペトラは得意気に頷き、オルオはつまらなそうだが、探検隊は再び進み始めた。
しばらく一連の流れを反芻していたクソ王子は、結局考えがまとまらず、代わりにいたずらを思いついて、柏手を打った。
「そうだ、リヴァイ兵長。兵長もどうぞこちらに。で、エレンは窓際を歩け。」
「別にいいけど、なんでだよ?」
「かわいい後輩に、お勉強の時間だ。」
リヴァイが探検隊の内側に、エレンが日光差し込む窓際に移動し終えると、クソ王子はいたずらっぽく笑った。
「通常、城では使用人は窓際を歩く。それは美しい庭園を使用人に楽しませるわけではない。何故でしょう?」
エレンは窓の外を見て首を傾げた。
「引き籠りのお貴族様達に、今日の天気を教えるため?」
「ぶは!面白い発想だが、残念。もし万が一敵の強襲を受けた時に主の盾になるためだ。」
肩を震わせていた先輩一行の表情も意地の悪い笑みになる。
エレンは唇を尖らせた。
思うところは顔に出ていても、異論は噤んだ。
クソ王子は笑みに苦みを加え、言葉を足した。
「まあ、使用人が平時にどういうつもりで窓際歩いてたかなんて、わかりゃしねえけどな。」
クソ王子は王子でもクソだから、生まれや貧富によって命の価値に差をつけたりはしない。
一般論を話しただけだ。
エレンはクソ王子の人柄を思い出し、改めて窓の外を見た。
街中で育ったエレンは、高い所から見渡す自然の景色に馴染みがない。
古城探検に気を取られていたが、城から見る景色は素晴らしかった。
壁の上からだともっと高く広く世界を見渡せるが、そこからは巨人の影がちらついて、素直に景色を楽しめるような余裕はない。
そうだ。
最近、壁の中の問題や自分の体の事に気を取られ過ぎていて、忘れていた。
自分は、自分達はいつか、ここではないどこか遠くへ行き、もっと広い所を探検するのだ。
「あー、早く巨人どもを駆逐しねえと。」
「うーわー、窓から見た景色の感想がそれかよ。ドン引きだわ。」
クソ王子の隣を歩くリヴァイは満足げで、クソ王子は人類の希望と人類最強がサイコパスという事実に、ぞっとした。
女型の巨人に、みんな殺された。
妙に冷静で、おそらく心はまだ受け止めきれていないようだが、頭ではもうみんながいない事をしっかりと理解している。
それで十分だ、行動に支障はない。
むしろ、心がみんなを失った事に気がつけば、足に力が入らなくなるかもしれないから、ちょうどいい。
クソ王子は、日が昇る前に目が覚め、なんとなく二度寝もできず、古城の廊下を歩き出した。
あの時は丸まっていた背中も、今はしゃんと伸びている。
歩く場所も、堂々と真ん中だ。
いつの間にか、リヴァイが斜め後ろの、窓際を歩いていた。
振り返らないクソ王子の気づかいに、リヴァイは黙礼する。
最近は「頼むから体を大事にして下さいよ、人類最強!」と、すぐに座らせようとするくせに、今は止めようともしなかった。
その分、クソ王子の歩みは、リヴァイが合流してからずいぶん緩やかになった。
薄暗い早朝、二人の探検にあの時のような賑やかさはないし、身軽な二人はあれからそれぞれ隠し通路に至るまで調査し、城の造りを熟知している。
二人とも何も言わず、改めて古城を歩き回り、探検隊が開拓した道筋を丁寧になぞった。
途切れた後は、前に進むために、正面玄関から外に出て、深く息を吸った。
「覚悟はできたのか?」
リヴァイの問いに、クソ王子ははっきりと答えた。
「リヴァイ班のおかげで、俺は王子として死ねます。」
朝日が昇る。
クソ王子の白髪が、金色に輝いて見える。
「ありがとう。」
残酷な世界では、本物の王子様も物語のような奇跡は起こせない。
あるのは避けられない現実だけだ。
リヴァイもクソ王子も現実を睨み、どちらが何を言うでもなく、出立の準備に取り掛かった。
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