裂けちゃった(笑)
憧れの山下さんと総務課の恭子先輩が別れたらしい。
山下さんは、すごくかっこいい。背が高くて、30過ぎて髪も脂ぎっていないし、くっきりとした二重で、いつもちょっぴり微笑みをたたえた唇がキュッとむすばれている。PCのキーボードを優しく弾く指は、すらっと長くしなやかで、つい山下さんとPCの間に滑り込み「私を弾いて(ハート)」なんて妄想を逞しくしてしまう。ひと目で女性を虜にしてしまう山下さんは、このブライダルの会社に向いていないのかもしれない。結婚式を控えた新婦ですら、目をハートにしてしまいかねないのだから。
今朝女子更衣室では、山下さんと恭子先輩の破局の噂でもちきりだった。別れの原因は、恭子先輩のだらしなさに、山下さんが我慢できなくなったからだという。
どうだらしなかったのか?
恭子先輩の仕事ぶりからは、そんな気配は感じられないので、女子社員たちは無責任な想像を言い合いながら笑った。
「きっと家が汚部屋なんじゃない?」
「片付けられない女とかね」
「全然そんな風に見えないのにねー。意外だわ」
マリナは恭子先輩と同じ課で、朝の噂話が頭からはなれず、仕事をしながらも、ちらちらと先輩をうかがってしまう。確かに今日の先輩はため息が多いし、アイラインがいつもより太い気がする。気の毒に思うと同時に、急に目の前がひらけたような気配に、マリナは伸び伸びとした明るい気分になった。なぜなら、ずっと山下さんが好きだったから。
職場で一番のイケメンがフリーになった事で、これから独身彼氏ナシの女たちは、イノシシのような荒い鼻息で山下さんに突進していくに違いない。マリナは対策を講じなければならなかった。
「食べないんですか?」
弁当を広げたまま、頬杖をついている先輩の前に、マリナはビタミンCの炭酸栄養ドリンクをそっと置いた。
「あ、ありがと。マリナちゃん」
マリナも隣に座ると、同じドリンクを飲んだ。
「なんか噂になってるでしょ。私」
「はい・・・・・・なってますね」
「私勘違いしてたよ。あんな人だったなんてさ。私には無理だったわ」
「あんな人?」
「うん、これ、言っちゃっていいのかな」
「どうぞどうぞ、言っちゃってください!」
きっとこの情報は、山下さんに近づくのに有効だ。マリナの目が光った。
「あのね、彼、ワンピースのナミが好きなのよ」
「え?あの、漫画のですか?」
「そうそう、なんかね、理想のプロポーションがナミとかロビンちゃんなんだって」
「へぇ、って、漫画とかアニメですよね?」
マリナの目が点になった。
「うん、女はナミみたいに、おっぱいがドーーンってあって、ウエストがぎゅううって細くて、ヒップがボンじゃなきゃ、駄目なんだってさ。私に努力すべきだって」
「えええええ、そんなの無理じゃないっすか」
「でしょ?骨格的に無理だし、あんなウエストとか、もう全身整形よね。つか、それでもあり得ないでしょ?」
「はい、ほんとにそんな人間いたら、キモいかも」
「でもねー、努力して近づけっていうのよ。だらしないって。私って、別に太ってるわけでもないじゃない?164で51キロ。努力でどうにかなる問題かって。なんか、急に冷めちゃってさ」
「そうだったんですね・・・・・・それは、キツいですね・・・・・・」
弁当を食べながら、マリナの耳にはもう恭子先輩の言葉は聞こえていなかった。
ワンピースのナミ。
ライバルは二次元の女。
マリナは計画を立てた。
今夜、会社のハロウィンパーティが行われるのだ。そこで山下さんを誘惑するのだ。とにかく、事を起こすなら早い方がいい。ライバルが何人いるかわからない。それに、今の時点において彼の趣味を知っているのは恭子先輩とマリナだけだろう。今夜、攻めるしかない。
もともと、今夜のハロウィンパーティには「不思議の国のアリス」の衣装を用意していた。そのブラウスの胸の部分をハサミでカットすれば、谷間を強調できるだろう。マリナは巨乳だ。というか、巨腹で巨尻。すなわちデブ。
「無理なのか・・・・・・ナミになるのは」
いや、なんとかなるはずだ。恭子先輩は細かった。言っちゃあ悪いが胸が小さい。デカくするのは無理。でも、マリナには肉がある。
「ウエスト、ぎゅうううんと絞ればいいのさっ♪」
確か、倉庫に打掛(和装のお嫁さんが上に着る着物)の中に使う真綿があったはずだ。お仕立ての和裁師さんが「あれ伸びるのよ〜絹だから丈夫だしね」と言っていたのを思い出した。あれをコルセットの代わりに使おう。急ごしらえにしては、いいアイデアだと思った。
スペイン居酒屋は、モンスターだらけだった。職場のハロウィンパーティにしては、しっかりとした仮装の人間が多い。
マリナは山下さんを探した。
「うわっ。マリナちゃん?すごく色っぽいね」
同じ課のオッサンに声をかけられても無視して山下さんを探す。
水色の少女のようにフンワリとしたスカートに、肩の部分がフリルになっている白いエプロンをつけ、胸のところが破れたように開いていて、谷間がくっきりと、おっぱいがあふれんばかりだ。少し血糊としてケチャップをつけたから、さらに注目が集まる。ウエストは、真綿でやり過ぎなくらいに細く絞め上げた。きっと内臓が悲鳴をあげている。行き場のなくなった肉は、下腹に移動しているがスカートで見えない。服の中は大変なことになっているが、限りなく二次元のスタイルになっている。
呼吸が苦しくて、あえぐようにしながら店の奥に進むと、女子の人だかりがあった。山下さんはあの中心にいるに違いない。人の輪をかき分けると、そこにはドラキュラ伯爵の格好をした山下さんが笑っていた。いつもよりもセクシーにみえる彼の姿に、マリナの体温は上がった。じっとりと肌が汗ばむ気がして、さらに呼吸が苦しくなり、マリナは気を失った。視界が薄れる中、自分に駆けよる山下さんがみえた気がした。
気がつくと、マリナは店のソファに寝かされていた。パーティは既に終わったようで、人もまばらだ。
「大丈夫?気分悪いのかい?」
優しく覗き込んでくる瞳は、山下さんだった。
「え、私・・・・・・」
慌てて体を起こそうとして、マリナはふらついてしまったが、その背を抱きかかえるようにして山下さんが支えてくれた。嬉しくてマリナの顔からは湯気がでるようだ。心なしか、さっきより腹が絞めつけられているようだ。汗が止まらない。
「・・・・・・みんなは?」
「みんなは先に帰ってもらったよ。君のことは、俺がみるからって」
山下さんの視線がマリナの体に絡みつき、どんどん冷静さが失われていく。息が荒くなる。マリナの額に玉のような汗が浮かぶ。
「そ、そうなんですね」
「まだ調子悪そうだね。俺の、マンション、すぐそこなんだけど・・・・・・休んでいくかい?」
山下さんが水の入ったグラスをくれた。
「え、えと、はい・・・・・・」
頷きながら、水を一息に飲んだ。
手が震えて水が服にこぼれた。
ぷち。
じわっと腹のあたりが温かくなった。
「ん?うわっ、すごいなマリナさん!衣装凝ってるね!」
マリナの白いエプロンに真っ赤な鮮血が広がっている。それは、細いウエスト部分から滲みだし、腹からスカートの裾へ染みて滴っている。
「お腹がっ、お腹の皮が裂けた!」
叫びながら、再びマリナは気を失った。
遠のく意識の中、和裁師さんの言葉が蘇った。
真綿は濡れると縮むのよ。真綿で首を締めるとか、あれホントよ〜
処刑なのよ〜
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