苦い蜂蜜
喫茶店の一番奥には、深刻な女がいた。
直美はウーロン茶を一口飲むと、目の前のベークドチーズケーキをザクザクとフォークで解体していた。
向かい側に座る友人の由佳は、直美からもらった憂鬱と一緒に、クリームソーダのアイスをつつく。
「でさ、これがトモくんから送られてきたわけ。手紙とかもナシでね」
「これ、蜂蜜だよね?」
「そうなんだけど、ちょい味見してみて」
直美に促された由佳は、少し色の濃い小瓶の蓋を開けると、右手の薬指の長いジェルネイルにちょっぴりと蜂蜜をすくい、舐めた。
「ぅべべ、苦」
「でしょ?これ、苦いよね。なんか腐ってるのかなって思ったけど、賞味期限は全然先なんだよ。手紙もないしさ、携帯もメールも通じないし」
「梶原さん、どういうつもりで直美に送ったんだろうね」
「それがわかんないから、気持ち悪いんだよ。なんか、通じないし」
直美とトモくん(梶原)は遠距離恋愛なのだが、最近トモくんと連絡がつかないという。
「フェンネル蜂蜜・・・って、書いてあるね。何かのメッセージかなぁ。苦い蜂蜜か・・・」
由佳は小瓶をひっくり返したりしながら、ラベルを読んだ。
「ウイキョウってハーブの蜂蜜みたいだね。よくわからん。直美心当たりないわけ?」
「わかんないから、由佳に相談してるんじゃん」
直美の手元のチーズケーキは、元の材料に戻ってしまったかのように粉々になっている。
ふと思いついた由佳は、バッグからiPadを取り出し、何かを検索し始めた。口にクリームソーダのストローをくわえて飲みながらという器用な体勢だ。
「んむ、に、が、い、蜂蜜、、と、、」
そして、少し指を動かした直後、「ブッ!」と、盛大にクリームソーダを吹いた。
「何やってんだよー」
テーブルの上に緑の甘い汁が飛び散り、iPadも直撃をうけた。慌てて二人はおしぼりで拭う。あらかた、拭きとったところで、直美が由佳を睨む。
「なにを発見したわけ?」
「べ、別になにも」
「うそだ」
直美は由佳からiPodを奪い取ると、画面を見た。YouTubeの動画だった。甘いマスクの外国人が歌っている。
これで最後 僕から君を取り除こう
これで最後 君から自分を引き離そう
もう会わない 僕は5時に会いに行かない
もう抱かない そして君の髪を忘れる・・・・
由佳がiPodを奪い返した。
「見た?」
「・・・見た」
直美はぐずぐずになったチーズケーキをフォークで集めて固め始めた。まるで、ケーキを再構築しようとしているかのように。
「トモくんからの、お別れのメッセージってことかな・・・」
二人は長い間黙っていた。
マクドナルドのカウンター前の行列には、腹を立てた女がいた。
「そういえば、このまえの蜂蜜のことだけどさ、あれね、なんでもなかったさ」
「え?連絡ついたの?」
「うん、携帯なくしてたんだってー」
ふたりはそこで、朝マックを注文する。
「説明してちょうだい。あんなに心配させて」
会計を済ませ、マフィンと熱いコーヒーをうけとると、事務所まで歩きはじめた。
「私って、甘いの苦手じゃない?」
直美が唇を舐めながら言った。
「で、トモくんが出張先であの蜂蜜みつけたんだけどね、これってコーヒー専用なんだってさ。それが、ほんとにコーヒーに入れると美味しいのよぉ。私って、いつもブラックだけど、これならいいかもって思ってくれたみたい」
「ふーん、で?なんで連絡つかんかった?」
「なんかね、出張先のホテルに携帯忘れたみたいでね。思い出して、ホテルに探して、送ってもらうのに時間かかったみたいー」
事務所のドアを開けながら、由佳は言った。
「もう、騒ぐなよ」
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