日もどっぷり沈んだ午後9時過ぎ。
俺はようやく仕事から解放されることになる。
「こんな時間に頼んじゃって、本当に悪いわねー、マナブちゃん」
「いいえ。落合様のご要望ならば、いつでも店を開けてお待ちしていますから」
「んもう。そんなカッコいい顔でオバサンを口説かないでぇ〜」
こんな他愛無い会話をして、最後のお客様の背中を送る。
「良い夜を」
「あなたもね、マナブちゃん」
残り香のように、彼女のつけた甘い甘い香水が、ショールと一緒にふわりと漂う。
綺麗にまとめ、結い上げた髪にところどころパールの付いたピンがキラキラとネオンに反射して光る。
その背中が街の中、人混みに消えた瞬間。
「だっ、はあぁ〜〜〜っ!!」
壮絶な溜息を付いた後、入り口のソファにダイビング。
「疲れたー」
「お疲れ様でした」
気が利くアリサちゃんは、俺に蒸しタオルを持って来てくれた。
「ありがとー」
一日の目の疲れが少し緩和されていくような気がする。
お客様の印象を預かる身として、数ミリの間違いも許されない。
集中力が大切なワケで。
もっとフランクにカットも出来るんだろうけど、それは俺のポリシーに反する。
最高の出来を提供しないと、お金なんてもらえない。
それが俺の信念。
蒸しタオルが冷たくなってきて、タオルを顔から引き剥がすと、どうやら店内の掃除は終わったみたいだ。
仕事が速いね、諸君。
「掃除、終わりました」
「うん。ありがとう。じゃ、今日はこれで上がりにしてくれ」
「お疲れ様でした!」
今日も終わった。
ふと、携帯を見れば、13件という異常なまでの着信履歴。
もちろん、すべて、アイツだ。
俺は本日二度目の壮絶な溜息を付いてから、アイツの番号を押した。
直ぐに通話状態になって、たった1コールでアイツは出た。
『孝っ!』
「……何の用?俺、疲れてるからさっさと用件言ってくんねぇ?」