千に一度もころされる
主を殺した。
2日前の晩のことだ。
俺は主が俺を支配しきってしまうのがひたすらにおそろしかった。だから斬った。
死体は夜のうちに竹林へ隠した。
ところが、黒絣を纏ったその姿は、今も文机に向かい書きものをしている。
どういうことだ。確かにこの手で殺した筈だ。
それとも何かのまやかしを目にしていたのか。なぜ、なぜ死なない。
がたり、と障子が派手に音を立てる。
脇差しを携えた男が茫然と立っている。
俺は、男のかすかな呟きを聞き逃さなかった。
「なぜ死なぬのだ」
さて、同じ目的により奇妙な同盟を組むこととなったわれわれが成すべきはただひとつだ。
今度は慎重に喉を切った後、左胸を刺した。脈が無いことを確かめ、林をふたつ越えた山の奥深くに埋める。
2つ、3つ、…6つ夜明けを越しても主は帰って来ない。
ついにやった!俺は解放されたのだ!
7日目にしてやっと、真実そう思えるようになった。
こんなに穏やかな気持ちで床に入るのはいつぶりだろうか。
「―――ご機嫌よう、諸君」
8日後の朝だった。
「どうした。私の顔に何かついているかね?」
柿色の羽織から茶の煤のようなものがぱらぱらと落ちる。山の深い匂い。湿った土。
「お召し変えを…、なさっては如何かと」
俺はやっとのことでそう答えた。
「おや、惜しいことをしたな、この意匠は気に入っていたのだが」
落ち着け。これは夢だ。主君の幻影に未だとらわれているに過ぎないのだ。殺せば終いだ。刀を抜く。
さあ、早く覚めてくれ。
しかし同時に振り下ろした刃は、よく鍛えられた鉄に防がれて届かない。
「卿もよくよく懲りないな」
嫌な予感がした。
にい、と猫のように笑う。
「あまりに深く埋めるものだから、外に出るのは実に骨が折れたよ」
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09/12.25
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