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(曽竹)
彼は、顔を見ただけで私のことを異邦人だと勘違いしなかった唯一の人物である。日本人からすると明るすぎる金髪に碧い眼とくれば外人の代名詞らしい。それでいて私は歴とした日本男子、この国生まれ、この国育ちであった。何故こんな突飛のない容姿になったのか、周囲は理由を聞きたがったが、お生憎さま。当の本人がそれに関しては追求する気が更々なかったので彼らが満足するような答えはしてやれたことがなかったのが事実である。
「竹中先生」
彼は私のことをいつも先生と呼ぶ。ここは学校ではないし、まして私は彼の師で敬われる対象でないにも関わらず、である。
つまるところ、私と彼は何処にでもある市立図書館の司書とそこに通う市民であるだけだった。
「こんにちは、曽良」
「お久しぶりです」
私も彼を曽良と呼び捨てにする。単なる司書と市民なら有り得ないが、私と彼はもはや「単なる」ではなくなっているのだから仕方がない。彼は私の恋人だった。
軽く会釈をすると、天使の輪を乗せた髪が揺れた。私の目立ち過ぎる金髪とは似ても似つかず、彼の黒髪は女性も羨むような艶めく美しいものだった。いや、女性の票を集めるのは髪に限った事ではない。細面で端正な顔立ちにプラスして、普段から多くを語らない彼はミステリアスなクール美形、と元々異性から絶大な好意を寄せられているそうだ。彼と同じ大学にいた友人が世間話に教えてくれた情報であった。
(本質なんて見抜けやしない)
不意に投げられたのは、それはそれは根本的な質問だった。
「嘘は悪いなんて誰が決めたの」
勿論僕が決めたんじゃない、知るわけがない。
そうは言えず、僕は堅く口を閉ざしていた。
「理由も知らない癖に我が物顔で嘘をついた、さぁ舌を抜こうなんて、死者にも失礼極まりよね」
組んだ手の上に顎を乗せて、声は面白くなさそうに。
何を言おうかと必死に頭を回転させる僕を知ってか、続く言葉が胸を突く。
「意味なんて俺に、あると思うかい」
何か言わなくては。
言葉は口元で凍り付き、出るのを拒んだ。
「君が答えられないのは知ってる。だからこれは意地悪」
大王は静かに微笑んだ。
ああ僕はまた、こうして彼を傷つけるんだろう。
(イ世界)
そうだ、僕は彼の笑顔が気に食わない。とても爽やかに清々しく笑うのに、その瞳はいつも笑ってはいなかった。こちらが片手を掴んでいないと風に吹かれて消えてしまいそうなほど儚い存在に、僕はいつも躊躇ってしまう。
ノートからふと顔を上げると彼は窓の外を眺めていた。海を切り取って作ったかのように青い、ビー玉を彷彿とさせる瞳はガラス一枚隔てた外の世界、グラウンドに動く人影を見つめていた。
柔らかい、愛おしむような笑み。
「先生」
僕は堅く閉ざしていた口を無意識に開いていた。
「ああ悪い。もう出来たのか」
僕と彼の前に広がった白いノートと、そこに綴られた文字の海に視線を戻す彼。赤いボールペンが軽やかに紙面を走っていく。
「よく出来ているじゃないか」
彼は僕の顔を見て笑ってみせた。
「ありがとうございます」
そこにはもう、先ほど垣間見た光は失せていた。僕は彼には見えない机の下で堅く拳を作った。痛いのは長く伸びた爪が食い込む手の平ではなく、この気持ちだった。
そんな抜け殻の笑顔を僕に向けないで下さい。
(我はひとの子)
「大王」
ぴしゃりとよく通る声に打たれて閻魔は俯いていた顔を上げた。
「僕は鬼です。だから人の心はわかりません」
一字一句区切るように明瞭に言葉を紡ぐ。意志の色が濃い瞳は射るのではなく、ただ真っ直ぐに閻魔を見つめた。こんなとき、鬼男は決して目を逸らさない。はっとして閻魔は背筋を伸ばした。
「ごめん」
咄嗟に浮かんだ返答だった。そして躊躇せず素直に口をついて出たことに安堵する。鬼男も、今になって気付いたが、少し強張らせていたらしい肩を緩めて軽く微笑んでみせた。負の気配に淀んだ室内が光を取り戻した気がした。
「わかれば結構です」
その笑みの陰に隠れた悲しさに鬼男は気がついていなかった。閻魔だけが知っていた。それでも何も言わず、自分を諌めてくれた存在に感謝した。卑屈にささくれ立つ心と感情を、優しく溶かしてくれる存在に。
(夏)
暑い暑いと口を開けばその言葉しか出さない。その割に男の肌は汗ばむ様子はなく、今日の夏空のようにさらりと乾いている。
おもむろに手を伸ばし、夏用に麻生地になった着物の袖から覗く不健康な白い腕に触れた。
「どしたの」
思いの外冷たくはなかった。手を媒介にぬるい体温が染みて、良かった体温はちゃんと機能していると鬼男は安堵の息を漏らす。
「熱いね君の手」
「…花火」
「ん?」
「花火見に行きましょう」
夕涼みがてら。そう言うと、唐突な提案に間の抜けたような顔をしていた男は、自分を見つめる眼を一瞥した後で、いいよと少し笑った。