log5


(ジャッキー)

「前から思ってたんだけど」
薄く、水気のない唇を動かして閻魔が沈黙を裂いた。目の前にしゃがみ込んでいる男の声に鬼男は怠そうに緩慢な動作で、それでもしっかりと頭をもたげ、彼を見据えた。
否、睨んでいた。
彼が無理に動く度に鉄の蛇がジャラリと重苦しく床を這う。
鬼男は褐色の肌を晒け出し、両手と首と足首とに鎖を巻き付け獣のように閻魔の前で四つん這いになっていた。5本の鎖の先は黒装束を纏う男の手の中に大人しく収まっている。
「君ってMなの?」
「、誰が」
返されるのは喉に張り付くような乾いた掠れた声だった。
吐き捨てるという表現がぴたりと当て嵌まる、ぞんざいな物言いで彼は呻いた。
「この変態、悪趣味、げす野郎。ログデナシ。マジで。信じらんねぇ」
散々な言葉の後で悔しそうに唇を噛み締めている姿ですら、今は閻魔の加虐心を煽る要素にしかならない。
彼はある意味非常に素直である。一つ一つの言動や仕草で閻魔に対する敵意や怒りを包み隠そうともせず全面に押し出していた。
彼はいつもそうだった。
閻魔が少し不愉快そうに朱の双眸を細める。
「馬鹿だね」
ぐいと鎖を3本自分に引き付けるよう手前に引く。唐突に両腕と首とに掛かる引力に逆らえなかった彼が前のめりに倒れ、必然的に腰だけ高く上がる形になった。普段なら有り得ない恰好に羞恥を感じたのか、歯を食いしばって堪える鬼男に対し閻魔は満足そうに口元を緩めた。
「君みたいな鬼は初めてだ」
「何が言いたい」
鋭く射るような視線に怯むばかりか顔色一つ変えないまま閻魔は隠し事を話すかのように鬼男の耳元に自分の口を近づる。今までより声のトーンを落とし囁いた。
「俺の事が好きなんだろう?」
鬼男の汗に濡れた肩がびくりと揺れた。今までどんな羞恥の限りを尽くしても弱みを見せることのなかった鬼男が、唯一彼の前に明らかにした弱点だった。
「俺に気に入られたいなら媚びればいいのに」
「はっ」
また暴言を吐かれるか沈黙を貫くだろうという閻魔の予測に反し、彼は笑っていた。嘲るような蔑むような拒否を表す笑みだった。
「生憎、あんたに尾っぽを振るための矜持なんて持ち合わせてないんでね」
元々羞恥に人一倍敏感な彼がこの期に及んでも挑発的な言葉を吐くことに閻魔は内心感心していた。そんなことを感じ取られないように表情を変えないまま、更に両者の距離を詰める。彼の顎を掴み、碧色の両目を覗く。
「だったら何故」
「偽って、相手に好かれて、そこに何の意味があるっていうんですか」
「だから君は珍しいんだ」
そのまま唇を手荒く塞いだ。
「素直じゃないね。俺も君も」
最後に耳に残ったのは、鎖の音だけ。



(青いノスタルジア)

施錠がされたままの扉を開けると暗くぼやけた部屋が出迎えてくれた。真冬の足音に急かされるようにそそくさと地平線の彼方に隠れてしまう太陽のおかげで人気のない室内は薄暗くとても寒い。珍しく僕が先に帰宅したようだ。
無造作に靴を脱ぎ捨て、冷えた手を摩りながら僕は急いでストーブと電気を点けた。


「うぅー寒い寒いっ」

漸く暖気が部屋一体に充満しだした頃、この家の本当の主が半分駆け込むようにして帰って来た。開けた扉の隙間から冷気と潮の匂いが僕のいるリビングまで舞い込む。

「お、鬼男君今日は早いね」
「お帰りなさい。バイト早上がり出来たんで」

いつもなら聞く立場である僕が言うと、彼は誰かにそう言ってもらうの久しぶりだなと嬉しそうに目を薄めて笑った。

僕は大王と呼んでいるこの男の唯一の趣味は油絵を描くことだった。冬には灰色になる小さな海と夕日を臨める西側の一室をアトリエにし、家にいる暇がある時はほとんどキャンバスに向かっていることが多かった。家中いつもなんとなく油臭い。描き上げられた枚数は正確にはわからないものの、行く当てもないのか彼の寝室や書斎にずらりと列んでいる分だけでも軽く30枚は越えているように思われた。一度、展示会や美術展に出展していないのかと聞いたこともあったが答えは否だった。

「帰りに駅前の店でこんな色見つけたんだけどどう思う?」

彼は手に持っていたビニール袋から人差し指程度の随分と古そうな絵の具チューブを取り出した。剥げかかった英文字は風化していて読む事は叶わなかったが、そのかわりキャップを回し中身が少し見えるくらいチューブを押す。名も知らない、人が作り出したとは思えない色が頭を覗かせた。

「ええ、良い色ですね」
「ん。鬼男君に合うかと思って」
「僕に?」
「次は君の絵を描くよ」

今まで彼が描いてきたもので僕が見たことのあるものは風景や物を描いたものばかりだった。てっきり人物画は描けないのだと勝手に思い込んでいたために少し驚いた。しかし被写体を描写するという方法を取るわけではないようで、僕にモデル役を頼む様子はなさそうだった。

彼の絵は基本的に全て僕の好みの範疇内にあるのだが、その膨大な数の中でも特に気に入っているのは夜を描いている類いのものだ。彼の描くそれはただ暗いだけではない。例えば、ひとつ黒をとったとしてもその表情は様々で時には安堵を、時には不安を僕に投げ掛ける。麻布に塗られた絵の具はただの絵の具でも彼の手にかかるとまるで魔法の呪文にかかったかの如く姿を変え、見る者を虜にする。どこか懐かしい悲しみさえ感じる絵が僕は好きだった。そしてこの一つ一つが彼の世界なのだろうと思うと何故か言いようのない寂しさに駆られるのだった。
それは彼がいつも一人だからだろうか。

立ち上がりリビングから出ていこうとする背中に

「楽しみにしてますから」

と一言投げかけた。一瞬戸惑った表情をした彼だったがすぐに右手を上げて、任せなさい、と言った。
その手の中には先程の古びた絵の具が握られている。



(零度の熱)

「うぅ…寒い、死んじゃう」
斜め後ろで防寒を完璧にし、縮こまりながらゆっくり歩く男がいる。吐く息が暗闇に白く霧となり消えた。
「ならついてこなけりゃ良いのに。別に僕一人でもよかったんですよ」
「だって家に居ても暇だし」
「星見るのに動機が不十分だ」
「鬼男君と一緒にいるためってゆう理由も駄目?」
「はいはい着きましたよー」
返答に困る質問は無視しながら空を見上げる。無限を感じさせる星の数をみれば寒さでさえ忘れてしまう。
「あ、流れ星」
「ほんとだ!願い事願い事っ」
大の男二人、大宇宙に向かい手を合わせた。
「何お願いしたの?」
「多分あんたと同じ」
「この自惚れ屋さんめ」
「うっせえよ」
マフラーに顔を埋めた。いつの間にか繋がれている左手がじわり温かい。

冬は好きだ。赤くなるのも素直に手を繋がれるのも、寒さのせいに出来るから。



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