アリスのおとぎばなし@
2014/10/15
アリスとお師匠の話。
アリスの出身地はだいぶお洒落な町。
どうお洒落かっていうと、だいぶお洒落。
むかしむかし
あるところに一人の少年がいました
ある日 少年は深い森の中で迷子になってしまいました
霧掛かった森は意地悪で 彼の帰り道も隠してしまいます
お腹もすいて途方に暮れた少年は とうとう泣き出しました
そのとき 彼の前に一人の女性が現れました
「泣くのはおよし 帰り道を教えてあげる だから泣くのはおやめ」
彼女が歌うように言ったとたん 霧がゆっくりと晴れていきました
さらに不思議な事に 少年が辿ってきた道が淡く輝き始めたのです
驚いた少年は慌てて女性の方を振り向きましたが そこには既に誰もいませんでした
無事村に帰ってこれた少年は それから幾度も森に足を運びました
しかし 二度とその女性と出会う事は無く
森はただ静かに霧を纏い続けるのでした
レンガ造りの古風な町の、とある小道。
黄緑の髪をした小さな男の子が、その頭には些か大きすぎるシルクハットを抱えて小難しい顔をしている。
やや柄の悪い目付きは幼さとは不釣り合いだったが、道を往く人々は今更それに驚く事は無い。
つい一年前にどこぞから流れ着いてきた男の子。
出身地も両親の有無も自身の名前すらも分からないと泣きじゃくるその子を、この町は温かく受け入れた。
何もかもが謎に包まれた子供に不審がる眼差しを向ける者も初めはいたが、それもだんだん減っていき、今や彼を不穏に思う者はいない。
決して大きくはない町だが、そこに住む人々の心は何よりも広く深かった。
お陰で男の子はすっかり元気を取り戻し、晴れてこの町の仲間入りを果たした。
彼の家は、彼を一番最初に受け入れてくれた人物の元だ。
そろそろ夕日も沈み始めた頃合い、まだ五才でしかない彼はいい加減その家へと続く帰路に着かねばならないのだが、シルクハットを睨む双眼は真剣そのもので、赤く暮れていく町並みに一切気付かない。
不満気に頬を膨らませ、何を思ったか勢い良くシルクハットを被った。
頭どころか目元まですっぽり覆われて視界が零になる。
数秒そのままの間抜けな状態で固まった後、彼は被った時と同じ勢いで帽子を脱いだ。
「出ろ!はとさん!」
幼子らしい高い声で叫び、帽子を掲げる。
ただのシルクハット相手にかなりの無理難題を押し付けているが、彼は至って大真面目である。
しかしやはり無理なものは無理だ。
シルクハットは特に何かを吐き出す素振りは見せず、小道には、ただ真顔でシルクハットを掲げる少年、というシュールな光景だけが取り残された。
「……またしっぱい……どうしてかなぁ?おししょうはこのボウシからいつもはとさん出してるのに…」
「お師匠はたっくさん練習してるからねっ」
力無く項垂れ愚痴を溢す少年の真横に、いつの間にか誰かが立っていた。
ビックリした少年が「わぁ!」と後退りながら声のした方を見やると、そこには彼の保護者でもあり師匠でもある女性がいた。
明るいオレンジの短い髪には緩くウェーブが掛かっており、くっきりとした顔立ちは美しいというよりも凛々しい。
服装も白いシャツに黒いスラックスと中性的だ。
いたずらっ子の様に歯を見せて笑った彼女は、素早く少年を抱き上げた。
「帰りが遅いから心配して迎えに来たんだよー。あ、まーた私のシルクハットを勝手に持ち出して……借りる時は一言断りなさいって言ったろう?」
服装と同じく中性的な口調でもたらされた注意に、少年は腕の中でしょげかえる。
「ご、ごめんなさい……でもボク、早くてじな出来るようになりたいんです!」
「その心意気や良し!でも、何でも焦りすぎはよくないよ?慌てなくても、手品なら私が一から教えてあげるからさ」
「で、でも…」
ぐうぅぅ
まだ何か言い募ろうとする少年を制したのは、彼自身の腹の虫だった。
夕日の差し込む静かな小道にいるからこそかえって目立った空腹の主張に、女性は思いきり吹き出した。
「っぷ、あっははははは!すっごい音!あははは!」
「……………」
容赦なく笑い飛ばされた少年は顔を真っ赤に染めて俯いた。
そして、腹が鳴った事により、自分がかなりの空腹状態である事にようやく気が付いた。
途端に身体中から力が抜け、弱々しく女性の胸に頭を預ける。
それに優しい笑顔を浮かべた女性は、脱力した少年の手からシルクハットを抜き取り、慣れた手付きでそれを被った。
少年には大きすぎた帽子を見事に被りこなし、彼女はカラカラと豪快に笑う。
「ほらほら!まずはご飯ご飯!帰ろっ、少年!」
「…はい…アリスおししょう」
名前を持たない弟子を屈託無くそのまま呼ぶアリスは、軽い足取りで帰り道を歩き出した。
少年を一番最初に受け入れたのは、アリスと呼ばれる手品師だった。
自身も元は流れ者であった彼女は、幼くして不憫な境遇にある少年に酷く心を砕き、仮の保護者になるといの一番に名乗り出たのだ。
アリスは嫌味な飾り気が無く、快活な女性である。
町に辿り着く迄に手品師としてあちこちを旅していたらしく、その途中で得てきたという知識の量は膨大でいて正確だ。
その聡明さとさっぱりした人柄故、町の住人達からは絶大な人気と信頼を寄せられている。
特に問題無く少年を引き取れたのも、それだけ人々がアリスを信用しているという証だ。
自宅である少し古めの一軒家に少年を連れ帰った彼女が最初にした事は、手品だった。
細々と泣き続ける黄緑の少年に向けて、ぱちんと指を鳴らしてみせる。
瞬間、泣き声だけだった部屋の中にパァンと弾ける音。
驚いて泣き止んだ少年に降りかかるのは無数の紙吹雪とカラフルなリボン。
切れ長の目を丸くする少年にアリスはニコリと笑いかけると、コート掛けに掛かっていたシルクハットを手に取り、空っぽの中身を少年に見せる。
何が起こっているのかいまいち把握しかねながらも、少年は見せられた帽子の中に何も入っていない事を理解した。
と、アリスは流れる様な手さばきでシルクハットを放り投げた。
少年は泣くのも忘れてそれを目で追う。
弧を描いたシルクハットはふわりと一度回転してから再度アリスの手中へと。
落ちてきたそれを指一本でくるりと回してから、アリスは黒い帽子を被った。
そしてその鐔(つば)を押さえながら矢継ぎ早にアリス本人もその場で一回転。
丸い目を瞬かせる少年の方へと再び身体が向き直ったと同時に、シルクハットを脱ぎ去った。
その瞬間、何も入っていなかった筈の帽子から一羽の鳩が、花吹雪と共に飛び出した。
「!?」
一連の手品の最中、アリスは一切言葉を発さなかった。
ただ楽しそうな笑みを浮かべ続け、飛び立った鳩に心底意表を突かれた表情を見せる少年に目を細める。
室内を一通り飛び回った白い鳩は、やがてアリスの肩に留まった。
この数分も無い間に、少年は幼い常識全てをひっくり返された様な気分に陥った。
そんな彼の柔らかい頬っぺたに伸ばされたアリスの手は、手袋越しでも彼に温もりを伝えた。
「私はアリス、手品師だよ。これからよろしくね、少年」
その時に向けられた笑顔が、少年の心に焼き付いた。
この時からだろう、彼が手品師を目指し始めたのは。
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