喧嘩する二色(終)
2014/10/15
幼少闇伊勢の喧嘩話ラスト。
これをきっかけにお互いが相手を色んな意味で意識しだします。
雨降って地固まれ。
いさかいから丸々一ヶ月、彼らはまともな会話を行わなかった。
何か用事があってどうしても言葉を交わさなくてはいけない時に限り、お互いに目も合わさず淡々と事務的に会話をした。
普段はまるで実の兄弟の様に仲が良い二人なので、冷めたやり取りを見た周りは大層驚いた。
派手な喧嘩をやらかしたのだと知られるのも早く、何人かの友人や世話好きな大人は彼らを仲直りさせようとした。
が、伊勢と闇夜はそれらを全て突っぱねてしまった。
片や「ほっといて」、片や「その話はしたくないです」。
とにかく余りにけんもほろろだったので、周りもそれ以上無理に仲直りを勧めてくる事はしなくなった。
夕刻、伊勢が部屋に帰ってきた。
闇夜はいない。
あの喧嘩以来、二人が同じ場所に留まる事は殆ど無くなった。
闇夜が部屋にいれば伊勢が立ち去る。
今はその逆だ。
伊勢も闇夜も、出来るだけ相手の傍にいないよう努めた。
空っぽの二人部屋を見て、伊勢は僅かに顔をしかめた。
そのまま無言で自分のベッドに向かい、持っていたカバンを放り投げてから自分もシーツに飛び込んだ。
いつもならここで「カバンを投げちゃダメですよ」なんて声が飛んでくるのだが、当然今は何も聞こえない。
ベッドにうつ伏せになったまま、伊勢は一ヶ月前の喧嘩を思い出していた。
(原因は何だっけ)
口論からの取っ組み合いがあまりに印象深い為、肝心の原因が薄れかけていた事に気付く。
わざと時間をかけて思い出していき、暇潰しの代わりとした。
そうしている内に、全ての原因が自分の劣等感だという事実に行き着いた。
(…そうだ。俺は、闇夜に比べて全然ダメな奴で……それが悔しくて…)
だが、だからといって伊勢は彼を貶めようなんて考えは微塵も抱いていない。
闇夜が色々こなせる様になったのは彼がちゃんと努力をしたからであり、伊勢もそれは素直に尊敬している。
コツコツと毎日頑張る闇夜の姿を知っていたからこそ、伊勢の中に嫉妬という感情は涌いてこなかった。
が、その代わりに滲み出したものがある。
(悔しくて…。…でも、それ以上に………怖くて)
少し前までは自分が先導しなくてはまともに散歩も出来なかった存在に、いつの間にか追い抜かれる寂しさ。
そのまま置いていかれて自分の傍から去ってしまうのではないかという不安。
伊勢が抱いた感情はそういったもの達だった。
それらは日が経つ毎に色を濃くしていき、いつしか苛立ちに変わった。
離れていく闇夜に、そんな彼と全く釣り合わない自分に、イライラした。
あの時飛び出した乱暴な言葉の真相はこれだ。
(何だよそれ……結局八つ当たりじゃないか、俺…)
そうだ、突き詰めてみればただの醜い感情だった。
自覚して自分の幼稚さに落胆した。
(悪いのは全部俺だ)
情けない事に、鼻の奥がつーんとし始める。
このまま一人で考え込んでいると泣いてしまいそうだ。
がちゃ
そんなタイミングで閉まっていた扉が開いた。
不意討ちのそれに大きく肩を跳ね上げた伊勢は、潤みだしていた目を慌てて擦って寝たふりをした。
この部屋にノック無しで入ってくる人物は自分以外に闇夜一人しかいない。
彼への怒りなんかは既に萎みきり、謝りたいという気持ちが膨らみ始めている。
しかし一ヶ月もまともに顔を合わせていないせいか妙に照れ臭く、居心地が悪い。
結果、咄嗟に寝たふりを決め込む事しか出来なかった。
(あぁもう何してるんだろう……謝らなきゃいけないのに)
自身の弱さに呆れながら、背中に相手の気配を感じ続ける。
伊勢だけでなく闇夜すらあの喧嘩以来ただいまを言わなくなった。
ただ扉を閉める静かな音がして、机にカバンを置く音が続く。
きっと今から宿題をするのだろう。
話し掛けたい。
しかし、怖い。
自分だって一方的に彼を避けていたくせに、随分身勝手な事だ。
臆病風は吹きやまない。
しかしそれすら気にしていられない事態が起きた。
沈黙の中に、突如弱々しく鼻を啜る音が落ちた。
(えっ)
反射的に身を起こし音のした方を見る。
自分の机の前に佇む闇夜は、こちらに背を向けていて表情は分からない。
しかし、肩が小さく震えている。
(泣いてる?)
「…………闇夜?」
「っ?!、……い、伊勢…起きてたんですか…」
唐突な呼び掛けに焦りを隠せない様子の闇夜は、目元を薄い赤に染めた顔で伊勢を振り返った。
その手には小さめのタッパーが抱えられている。
伊勢がそちらに目を向けると、ハッとした様子で背中に隠してしまったが。
お互いに会話の切り出し方を忘れてしまったらしく、無言の時が流れる。
やがて口を開いたのは伊勢だった。
「…泣いてるの?」
少し潤んだ隻眼を見る限り、聞くまでもない事だった。
ばつが悪そうに伊勢から顔を背ける闇夜は、やや震えた声音で「…何でもないです」と答えた。
何でもなくてこの幼なじみが泣くわけがない。
伊勢にはそういう確信があった。
「…もしかして…それが原因?」
静かに指差したのは闇夜が持つタッパー。
懸命に伊勢の目から隠そうとしていたのがかえって目立ち、気になり始めた。
闇夜は今度は何も答えない。
しかし素直な彼は態度が明確で、真一文字に結ばれた口元が遠回しの肯定に見えた。
ベッドから降りた伊勢は、少し躊躇してから、そっと彼に近付いた。
「っ、…ほ、ほんとに何でもないですから…」
逆に闇夜は伊勢から距離をとろうとする。
しかしすぐ後ろが机な為、ろくに後ずされない。
闇夜のすぐ真ん前まで歩み寄った伊勢は、揺らぐ瞳を真っ直ぐに見つめた。
「……教えて?…お願い…」
「!、………」
許しを乞う様な切実さを孕んだ声に、闇夜は小さく目を見開いた。
そして、暫し俯いて思案した後、背中に回していたタッパーをおずおずと差し出した。
受け取った伊勢が首を傾げながら開けて良いか尋ねると、観念した様に頷く。
許可を得た伊勢は薄い水色をした蓋に指をかけ、ゆっくりとそれを取り外し中を見た。
「……これ……ケーキ?」
中には、お世辞にも綺麗とは言えない、クリームとスポンジとチョコレートの塊が鎮座していた。
甘い匂いがしたのと形が歪ながらに三角だった事で何とかケーキだと認識出来たものの、その様相はぐちゃぐちゃと呼んでも差し支えなかった。
予想外の中身に伊勢が再度闇夜の方を見ると、何という事か、彼はボロボロと泣いていた。
「ちょっ!闇夜?!そ、そんなに見られたくなかったの?!ごごごごめんっ!」
「……ちが………違います…。そうじゃ、なくて…」
狼狽しきって謝る伊勢を制して、涙を拭いながら口を開く。
「…それ……あなたへのお詫びとして作ったんです…」
「え?俺に?」
「……一ヶ月前に、凄く酷い喧嘩したでしょう、俺達。あの時は頭に血がのぼっていてろくな判断が出来なかったけど…、…後から考えて、自分がどれだけあなたに酷い事をしたか、分かったんです」
闇夜の独白に伊勢はただただ唖然としていた。
彼の口から語られる反省や後悔は、伊勢の中にあるそれらと同等に深かった。
「俺…年上なのに、カッとなって……あなたのこと、蹴っ飛ばしたりして……あなたには、沢山助けてもらった恩があるのに…」
(ちがう)
「それで、謝らなくちゃって思って……でも、ずっと会話も無かったから、話し掛けるのが怖くて…。…なさけないですよね」
(ちがうよ闇夜)
「だから、せめてものお詫びにケーキを作って渡そうと思ったんです……でも……全然上手に出来なくて……何回やってもダメで…。あげく、謝る勇気も湧かなくて……結局俺は、何も出来なくて…」
「そんな事ない」
放った声は本人ですら驚く程に真剣だった。
まだ十年ちょっとしか生きていない伊勢は、自分がこれだけ強い声を出せる事に初めて気が付いた。
また少し泣き出していた闇夜は、目を丸くして伊勢を見た。
普段は優しい笑いを浮かべているその顔が涙で彩られている姿に心が痛んだ。
そして、その涙の根源的な原因が誰でもない自分である事も、重々承知していた。
「………俺こそごめん、闇夜。叩いちゃったりして…不自然にさけ続けて…」
「伊勢…」
「…俺ね、怖かったの。料理とか勉強とか、闇夜は色んな事が出来ていくようになるから。置いていかれる様な気分になってさ」
「え…」
「それで、俺なんか、その内いらなくなるんじゃないかって思って、怖くなった。だから…つい、逃げちゃって…」
「な……、そんな、いらないだなんて。そんなわけないでしょう!」
次にしゃんとした声をあげたのは闇夜の方で、タッパーを持ったままの伊勢は、いつの間にか泣き止んでいる彼の目を見たまま呆気にとられていた。
「あなたがいらなくなるだなんて、絶対に、絶対にありえない。たとえ俺がいつか料理も勉強も完璧に出来るようになったとしても、それだけはありえません」
俺には伊勢が必要なんです。
振り絞る様にして訴えられる本音。
伊勢の碧眼がみるみる内に濡れていく。
「……………ほ…んと?」
ずっと不安だった。
「…俺……闇夜に比べて、料理も勉強もあんまり出来ないよ…?」
人一人をいらないと言って切り捨てる非人道さなど相手には無いと頭では分かっていたのに、恐怖は濃くなるばかりだった。
「それでも、…俺なんかと組んで……いいの?」
彼にとって不必要な存在になる自分ばかりが頭に浮かんでいた。
なのに。
「あなたじゃなきゃ、ダメなんです」
淀みなく闇夜はそう言い切った。
それが決定打となり、伊勢は一気に泣き出した。
さっきの闇夜の二倍はあろうかという勢いで泣くものだから、持ったままになっていたタッパーに涙がどんどん降りかかる。
その頭を、久方ぶりに柔らかい笑顔を浮かべた闇夜が撫でた。
そうしてお互いに謝りあい、わだかまりを解いた後、不恰好なケーキを半分子にして食べた。
「何だかしょっぱないですね」
「でも美味しいよ」
そんなやりとりと共に顔を見合わせた。
すると、二人して顔が熱くなる感覚に襲われ、慌ててフォークを動かす作業に戻った。
仲直りしたばかりだから照れ臭いのだろう。
そう考える二人の中に燻り始めた何らかの微熱は、まだもう少し気付かれないらしかった。
終
(どう見てもプロポーズ)
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