さよなら2013年
 2014年01月1日 (水) 01:45
ああ、もう2013年も終わりなんだな。何でこんなにあっという間なんだろう。どうしたら時計の針のスピードが落ちるか、そればっかり考えているのだ。さてさて、そんな2013年を1月から振り返っていこうと思う。もう年は明けてしまったけど、やっぱり忘れたくないからな。本当は全部書きたかったが、もう年が変わってしまったからさくっといく。
1月: 1番の思い出は、冬季施設だな。久しぶりに新潟まで行ってスキーができてとても気持ち良かった。
2月: その頃俺は、七沢更生ライトホームの見学に行った。技大の寮に入るにしてもそうでないにしても、生活力を身に着ける必要があるから、どこかで短期間入所した方がいいと思ったのだ。
学校では文化祭の準備を始めていた。3年生になると実習とかで忙しくなり、なかなかみんなで準備できないからもう動き始めたのだ。最初は何をやるかということから話し合って、みんなが「劇をやりたい」と言ったが、そんなの絶対無理だと思った。
3月: 特に大きなことはなかったな。3月といえば、学年末遠足でカップヌードルミュージアムに行ったりとかランドマークプラザの文明開館で食事をしたことかな。
4月: そう、先ず3年生になる前に、俺のパソコンがぶっ壊れたんだったな。パソコンそのものは使えるが、DVDを入れるドライブが動作しなくなった。ドライブを買えばいいという訳ではなかった。マザーボードに繋ぐ部分が壊れたみたいだ。こうなると新しいパソコンを買うしかなかった。でも今度のは最新の一番性能のいいパソコンにした。SSDも付いているし、相当いい物だった。さて、3年生になり、俺たちのクラスには新しく先生が入ってきた。鳥の鳴き真似が上手く、とても面白い先生だった。クラスの雰囲気ががらっと変わった。その頃俺は、新入生に積極的に声を掛け、誰よりも先に仲良くなるという目標を立てていたが、一緒の授業は作学と体育ぐらいしかなくて、なかなか上手くいかなかった。とても苦労していた。
5月: やっぱり運動会かな。最後の運動会、優勝できてよかったし、3段タワーも成功できた。
6月: 修学旅行で山口と広島に行った。その前日まで俺は風邪を引いていて、行けるかしんぱいだった。今年こそは風邪を引かない予定だったのにな。でも、無事行くことができた。みんなと旅行できるのは最後だったから、とても貴重だった。後それから、21日に関東盲学校弁論大会に出場した。みんなの発表も聞けたし、知らない人の前で話すという貴重な経験ができた。帰りに電車の旅もできたしな。
7月: 特別なことはなかったが、とにかく文化祭の準備で忙しかった。あ、そうそう、今年部活のキャプテンになったんだが、何だか上手くいかず、特にあの時期ミスをしてしまい、みんなから全然信頼されていない気がした。とにかく何だかばかにされている感があって、あまりちゃんと付いてきてくれている感じではなかった。やっぱり俺はキャプテンやる資格はなかったんだと思うとつらくなった。楽しかった部活が苦痛になってきた。でも、7月31日水曜日から安がバレー部のマネージャーをやるようになって、そこから少し変わった気がした。
8月:  部活の真っ最中、そして文化祭の道具作りや音響の仕事で忙しい日々が続いた。その月の五日から俺は、七沢更生ライトホームに入所した。そこでは日常生活訓練とか歩行訓練とか、感覚とか、後は心理の時間があった。最初は不安だったけど、すぐに慣れた。なぜなら、そこの人たちがみんな優しくて、とても雰囲気がよかったからだ。8月はそれぐらいかな。
9月:  そう、9月の大きな出来事といえばこれだ。四日の水曜日のことだ。学校が終わっていつものようにリンたちと一緒に帰った。その途中、東神奈川駅の1番線で電車を待っている時、安に「あ、そうだ、菅野さん、もしよかったらメアド交換してもらってもいい?」と言われたのだ。あの時の呼ばれ方、「菅兄ちゃん」だったっけ!とってもびっくりしたけど、凄く嬉しかった。興奮しすぎて赤外線通信がなかなか上手くいかなかったのを覚えている。受信の時も送信の時も、何度も「接続相手が見つかりません」状態になった。安の言葉で俺の心は大きく動いた。それから二人の友情はどんどん深まっていき、13日金曜日の放課後から「菅君」に呼ばれ方が変わった。でも10月になってひでぽいやリンが実習から帰ってきて、少しあれ?と思うことがあった。
10月:  そう、三日のことだ。部活が終わった後、その日は安と一緒に帰る約束をしていたのに、ひでぽいと二人で先に帰ってしまったのだ。それは別に、誰が悪いとかないと思う。あまり詳しくは書けないけど、あの頃リンと安がちょっと喧嘩していて、それで先に言ってしまったのだ。でも、それで俺まで嫌われたと勝手に思い、暫く俺の心が曇っていた。別にいいんだけどね。関盲バレーの大会の日も全く口を利かなかった。でもそれは、勝手な思い込みだった。後、10月の大きな出来事は、17日木曜日にあった、日本盲人職能開発センターのOA実務家の試験だな。これは完ぺきに落ちたけどね。それから、文化祭。ハプニングはあったけど、成功できた。1月からの努力の結果を出せたと思う。
11月:  特にないかな。関盲連文化祭ぐらいかな?
そして12月:  愈々技大の試験だ。実は試験の前日の二十日、放課後安たちが部活の時間を割いて玄関までエールを送りに来てくれたのだ。そ そこまでしてくれなくてもいいのに。正直他学年の人には、技大を受けることは内緒にしておきたかった。なぜなら、落ちた時にとても恰好悪いからな。さてー、ここまで応援してもらったなら結果を出さなければ申し訳ない、そう思うとプレッシャーを感じてきた。その夜はずっと質問に答える内容を頭の中で整理していた。とにかく熱意が大事だ。急に知識が増えたりはしないんだし、後は熱意で行くしかないと思った。次の日、21日、とにかく緊張していて、朝は声も出なかった。口内が乾燥していた。そして、俺の受験番号、145703が呼ばれた時、胸がばくばくと動き出していた。実際面接室に入ってみると、面接官がとても優しくてほっとした。副校長先生に面接官をやってもらったような恐ろしい剣幕を想像していたが、全然そんなことはなかった。でも厳しめに練習しておいてよかったと思う。本番が一番よくできた気がした。しっかり自分をアピールできたから、悔いはなかった。数学の円錐の問題は答えられなかったけど、あれはどうしようもなかった。
さて、話は変わって、冬休み。ICレコーダーの話、とても音がいいって前の日記には書いたけど、パソコンで聴いてみると異常な程音が小さかった。しょうがないから音声ファイルを増幅するソフトをひたすら探していた。Wavepadで増幅したら音がぐわんぐわんしてしまい(わかりやすく言うなら、グラフィック・イコライザの設定をオンにしている時のような音)、あまりすっきりしなかった。
さて、27日、入試結果がネットで発表された。開けて見てみると、なんと合格していたのだ。何度も疑い、受験番号を確認した。間違いないのだ。俺の母ちゃんがめちゃめちゃ興奮していた。俺は、喜びよりも不安の気持ちでいっぱいになった。だって、まさかAO1本で受かるとは思っていなかったのだ。大学入って単位取れるだろうか、寄宿舎で4年間やっていけるだろうか。後、故郷の横浜を離れなければいけないという寂しさが襲ってきた。不安と寂しさで、部屋でずっとうなり続けていた。まあ、とりあえず応援してくれた人たちには「受かったよ。」と報告できる。とりあえず進路は決まった。1月から思う存分部活をやりたいが、これから色々と準備があるからそういう訳にはいかないんだよなあ。でも2月の育成リーグには絶対に出たい。
受かったんだな。こんな、頭の悪い俺が受かったんだな。頭が悪いことを認めたのは生まれて初めてかもしれない。今は寂しさと不安でいっぱいだ。残りの学校生活が余計に短く感じてきた。そこで、決めた。1月からは、授業が終わってからとっとと帰ったりはしないぞ。というのは、別に自分からみんなに「一緒に帰ろう」と誘うつもりまではないけど、とにかく今までのように、早く帰りたいというオーラは出さないということだ。
さて、大晦日、紅白を最初から見ていたんだが、実はそこで、聞き捨てならないことを耳にしてしまったのだ。あれはマジでびっくりした。だって、あの場で、歌い終わった後であんなことを言うんだからな。大体予想はできていたけど、やっぱりショックだった。何でそうなるのかなあ。まあ幾らそう言ってもしょうがないけどね。
さて、2013年はとっくに旅立って行ってしまった。いろんなことがあった1年だった。大変なこともいっぱいあったけど、ここまで乗り越えられたのは近くで支えてくれたみんなのおかげだ。あ、一つ書き忘れた。10月まで部活のキャプテンを務めたんだが、途中でつまずくことがあっても最後までやれたのは安のおかげだ。安がマネージャーをやるようになって、「菅君はとても上手だし、強いからね。」と優しい言葉を掛けてくれたおかげだ。本当、それだけは忘れないようにしよう。さてさて、1年間入試の為に協力してくれた先生には本当に感謝している。周りの人が支えてくれたからここまでこれたのだ。そして、俺と友達になってくれた安、本当にありがとう。これから3月までの学校生活を大事にしたい。


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